2009年6月17日水曜日

西公園

東公園(榴ヶ岡公園)と西公園(桜ヶ岡公園)。
この2つの公園は仙台を代表する公園です。どちらも桜の名所として有名です。桜ヶ岡公園は1875年(明治8年)開園。東公園は「榴ヶ岡公園」として定着し、西公園はそのまま「西公園」として定着しました。桜ヶ岡公園という名前は桜岡大明神の社が鎮座していることに由来します。

西公園は江戸時代には武家屋敷があった場所です。様々な士族がすまわさっていましたが、江戸初期には片倉小十郎の名前も出てくる由緒ある土地です(寛文の絵図1664年に出てきます)。

片倉小十郎というのは仙台藩の家老として白石城主を務めた片倉家当主の通称です。寛文の絵図に出てくるのは三代片倉小十郎景長の時代にあたります。片倉景長は伊達騒動の際に伊達家側について藩内の混乱を収め伊達氏を改易から救ったとしてこの後家臣内外とも重んじられる家柄です。寛文の絵図の時はまだ伊達騒動の前なので原田甲斐などの反伊達藩側の人間の名前も見られます。その後の絵図では大橋を渡った二の丸近くに片倉家が移っているので身分もあがったのでしょう。

また、本来道路を挟んで南側だけだった西公園ですが、戦後北側まで拡張されました。本来北側は別の名前にするつもりで計画されたのですが、公募の結果「西公園」が得票数が多かったため西公園の一部となりました。本来の西公園(南側)は江戸時代の武家屋敷から明治時代に入って博物館、把翠館、その後、市に払い下げられ洋館が増設され公会堂として、同時期に北側には階行社(将校クラブ)がありました。

公会堂は昭和30年代に仙台市天文台に、階行社は仙台市図書館となりました。天文台は今回の地下鉄東西線の路線にあたるため移転となる予定です。仙台市図書館はメディアテークに移りました。

北側にはC60蒸気機関車が展示され、中に入れます。南側には明治時代から続く源吾茶屋があり、そば、ずんだもち他甘味などが堪能できます。地下鉄の駅ができることもあり、大町交番裏の大銀杏も移植になりますし、これから景色が変わっていくことでしょう。古きよきものには残っていて欲しいと思うのですが。

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