2014年3月28日金曜日

地球上にいる限り、1秒間に30km移動している。
例えば、西に向かう時、その分進んでいないし、むしろ後退している。

宇宙は中心から拡大していく。
自分たちは、同じ場所にいるような気がして、同じ座標にいることはない。
常に動き続けているのだ。自分の意思とは無関係に。

あるいは、
自分の心臓を基準点にして、人生を振り返ってみると、一度足りとも、自分は移動していないことになる。要は、基準点の設け方によるのだ。

自分を起点にして世界を考える。
宇宙の位置的状態をもって、世界を考える。
これらはまったく異なる視点だ。

基準点を自分に設ければ、生まれてから死ぬまで、私という存在は、まったく移動していない。
どこかに出かけるのも、家とか会社とか、どこかの基準点を起点としてのことだ。

宇宙を起点とすれば、進んでいるつもりが後退していることもある。
自分を起点とすれば、進んでいるつもりがまったく進んでいないこともある。

自分という存在を基準点に、外の世界にどれだけ影響を与えられるか。
人生の意義は、それだけのように思える。

意義。
そのようなものも、瑣末な世迷い言にすぎないかもしれない。

生まれて死ぬだけ。子孫を残せるか否かだけ。そこにも価値はない。

価値なんてものは幻想だ。

人類は、ヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト亜族ヒト族ヒト科であり、
人種というものは、弱いいじめの方便から生まれてきたものにすぎない。

黒くても白くても黄色くても、みなヒト科の生き物でしかない。
そこに優劣をつけてしたり顔の大人は滅びればよい。
人種差別など、瑣末なことだ。
近くにホモ・エレクトゥスがいれば事情は違うだろう。

何が言いたいかというと、自分を大事にしろ、偏見はなくせ、ということに他ならない。
己が何を聞いて、どう思ったかを大事にする。


2014年1月7日火曜日

夢ノート

東松島の自然の家っぽいところに実家の両親とうちの家族で参加して、夜中に雨で別館からでられなくなったぽくてそこで寝ることになって、おじいちゃんが寒そうで、お母さんが色々かけてあげてて、雨が上がって歌を歌い、死んだはずの友達が出てきて、仲間たちと一緒に東京の家に遊びに行って夜を過ごし、朝になって大きな地震があって、倒壊する建物の中なんか生き残って、子供もいるから両親のいる東松島に帰ろうとしていると電話がかかってきて、掃除の時間に帰ってないとは何事だとしかられて、こっちは死にかけてんだよと謝りながらブチ切れてるところで目が覚める。

その他キーワード、近代的資料館、食べられるお菓子の家具、発掘資料の無断持ち出し、掃除、緊急地震速報、ねじれるアパート、Dropbox、古びた洋館、工事中

2014年1月3日金曜日

初夢

誰だか分からない人と一緒にキノコか何かを採りに山へ行く。
(誰かは夢の中では認識していたのだが、その後の過程で忘れてしまった)
山とはいったものの広場のような場所で、周囲を木の生えた丘がぐるりと囲んでいるような感じ。
丘は複数の人がいて、たぶん山菜を採っている。
丘の木々の隙間から、なんか動いているのが見えて、よく見ると猫。大柄の三毛猫がゆっくりと丘を下りてくる。
その時ぶわっと嫌な気配がして、広場の真ん中あたりにあった茂みからクマ登場。
逃げる人々、威嚇するクマ。
クマはなんか変なポーズとって人々を威嚇しているけど、夢の中でもなんかおかしい動きだなと思った。ディスコのダンス的な感じ。
身の危険を感じてゆっくりとその場を離れる自分。
広場の仕切りのネットフェンスを抜けて、すっごい狭い、ブルーシートの隙間を発見。
そこにねじこむように逃げ込んで、どこかに電話。
ふっと、シーンが変わって、クマに襲われて一命をとりとめた中学生男子のニュース映像が流れる。
ああ、連絡もついたし、もう大丈夫だと思って、しばらくたってから隙間を抜け出して一息。
後ろを振り返るとクマと目が合って、刹那、覆いかぶされるように襲われるところで目が覚める。

変な夢だったけど、どうも夢には記憶容量があるようで、前のシーンも確実に見ているし何かが起こっているのだけれど、そこまでは覚えていなくて、古い順に、順次消去されているようだ、ということに気付いた初夢でした。


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クリックで救える命がある。