2011年4月22日金曜日

営業と技術

会社の力を見るときに、営業力と技術力が大事なのは言うまでもありません。
営業と技術は、会社を牽引する両輪のようなもので、
どちらかが大きすぎたり小さすぎたりすると、あらぬ方向に回って行ってしまいます。

その両輪を、同じように強化していくことが、会社を強くしてく基本だと思います。
組織全般に言えることだと思いますが、どこか偏って、バランスを失ってしまった組織は、いずれ崩壊することでしょう。
社員満足と顧客満足でもいいです。同じように進めていかなければならない事項は、同じように強くしていく、
または、片一方を引きあげる見通しや観測があっての偏りであることが大事です。

また、両輪をつなぐ、業務というのは軸です。
軸がブレたり、曲がったりしていると、両輪の力を削ぐことになり、連携もできず、やはりアサッテの方向へ行ってしまい、崖から落ちていくに違いありません。

ということなどを、日々の仕事の環境の中で感じている次第です。

営業と技術は両輪、
業務は軸、
運動エネルギーは社員満足度(モチベーション)

このへんを今日は強調しておきたいと思います。




2011年4月14日木曜日

デリカシーのない腹

小学生の時、給食でちょっと腐ったようなグレープフルーツが出ました。
食べない人のをもらって2個食べました。
みんな腹痛を起こしていましたが、自分は平気でした。

いつだったか、油揚げの入ったお弁当を開けたら、
なんか納豆みたいに糸を引いていましたが、かまわず食べました。
ちょっと吐き気がしたけど、下すことも戻すこともなく消化したようです。

このように、ちょっとデリカシーのない腹を持っています。

このような事を思い出したきっかけは、もし地震などで閉じ込められ、
溜まり水があった場合でもそれを飲める保証はありません。

ですが、自分が、よし、俺が飲んでみて大丈夫だったら飲んでもいいよ、
と言ったところで、
あまり信ぴょう性がないんじゃないか、
というお話でした。

震災以来、水とちょっとの食料、マイ箸を持ち歩いています。

そんな中、またM8クラス、10mの津波が来る可能性が高い、とか、あんまりだ、と思います。
自然の摂理には逆らえないとはいえ、あまりにも無力すぎるのではないか。

いいえ、無力であることを、知恵によって覆い隠し、見ないふりをして過ごしてきただけかもしれません。

2011年4月7日木曜日

震災後のチェーンメールについて

史料批判 - Wikipedia

というものが、歴史学の研究方法にあります。

古文書などに書かれていることは、書かれているから本当ではなく、完全な偽書である場合や、みる立場の違いから、歴史の本筋から離れたことを書いていたりします。

今回の震災で出回った、ソース不明のチェーンメールについても、良かれと思って忠告する文書であったりしますが、オリジナルの資料を見たり、発言者の、発言にあたっての背景を考えたりすることが必要かと思います。どういう意図で文書を書いているのかを考えずに、誰かが言っていたから正しいと鵜呑みにするのは危険です。史料批判の方法は、今で言うところのメディアリテラシーそのものですので、この手法はきっと役に立つと思います。



” 錯誤の例 [編集]
  1. 感覚的な錯誤(個人体験を過大に報告している場合)
  2. 総合判断の際の先入観や感情による錯誤
  3. 記憶を再現する際に感情的要素が働いて誇大美化(もしくは、その逆の場合)が起きるような例
  4. 言語表現が不適切で証言がそのまま他人に理解されない例(もしくは、同じ言葉を使っていても違う意味で使っている場合)

 直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。ましてや証言者がその事件を伝聞した人である場合、誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。”

dff.jp

クリックで救える命がある。