というものが、歴史学の研究方法にあります。
古文書などに書かれていることは、書かれているから本当ではなく、完全な偽書である場合や、みる立場の違いから、歴史の本筋から離れたことを書いていたりします。
今回の震災で出回った、ソース不明のチェーンメールについても、良かれと思って忠告する文書であったりしますが、オリジナルの資料を見たり、発言者の、発言にあたっての背景を考えたりすることが必要かと思います。どういう意図で文書を書いているのかを考えずに、誰かが言っていたから正しいと鵜呑みにするのは危険です。史料批判の方法は、今で言うところのメディアリテラシーそのものですので、この手法はきっと役に立つと思います。
” 錯誤の例 [編集]
- 感覚的な錯誤(個人体験を過大に報告している場合)
- 総合判断の際の先入観や感情による錯誤
- 記憶を再現する際に感情的要素が働いて誇大美化(もしくは、その逆の場合)が起きるような例
- 言語表現が不適切で証言がそのまま他人に理解されない例(もしくは、同じ言葉を使っていても違う意味で使っている場合)
直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。ましてや証言者がその事件を伝聞した人である場合、誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。”
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