仙台城は別名青葉城とも呼ばれます。
青葉山にあるからですが、青葉山は「仙台七崎」の一つ、青葉ヶ崎に由来します。
仙台七崎とは→
青葉ヶ崎(あおばがさき)、鴉崎(からすざき)、鹿島崎(かしまざき)、藤ヶ崎(ふじがさき)、玉田崎(たまたさき)、松ヶ崎(まつがさき)、茂ヶ崎(もがさき)を言います。
仙台城はご存じ伊達政宗が1601年に築城を開始し、大広間の完成する1610年までにほぼ全域が整備されました。仙台城に天守閣はなく、大広間という、天皇を迎え入れる「御成門」などがつく建物が本丸の心臓部といえます。天守閣は家康に遠慮してつくらなかったそうです。ちなみに仙台藩に天皇がくることはなく、御成門は260年余の間使われることはなかったそうです。
仙台城のあったところはもともとこの地を治めていた国分氏の居城があり、千体仏があったことから千体城と呼ばれ、後に千代城となりました。それを政宗が仙台と改称するわけですが、その由来となったものが漢詩、「同題仙遊観」の中の「仙台初見五城楼」といわれています。
ちなみに国道4号線バイパスの、広瀬側を渡る橋を「千代大橋」と呼んでいます。
本丸は明治時代に入り東北鎮台、後に仙台鎮台が置かれ、その後は陸軍第二師団が駐屯しました。現在は護国神社が鎮座しており、その他に青葉城資料展示館が建てられ、仙台城の復元CGや模型、武具甲冑、威信財などを見ることができます。
二の丸は二代藩主忠宗により1638年に造営されました。本丸は山の上にあるので(見晴らしは良いですが)藩政の中心として使うには不便なところであったので、その後仙台藩の中心となるところです。第二師団のとき司令部が置かれたのも二の丸です。現在は東北大学が建っています。本丸が登るのがきつかったがゆえに、政宗は隠居後は平城である若林城に移ってしまい、本丸は機能を失っていきます。
三の丸は仙台藩の米蔵があった場所で、いつ三の丸になったかよくわかっていないようです。正保2~3年(1645~1646)の絵図では「屋敷」となっており、そのころはまだ三の丸ではないようですが、寛文4年(1664)の絵図では御三之丸と書かれています。現在は仙台市博物館が建っています。
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