2009年6月18日木曜日

仙台・東北地方のキャラクター

かなりかわいいと思う人たち。

☆むすび丸 http://www.sendaimiyagidc.jp/
昨年の
仙台・宮城デスティネーションキャンペーンのキャラクターですが、キャンペーン終了後も居続けてくれています。伊達むすび丸。昨年のよさこい祭りでは某アナウンサーに「おむすび丸」と呼ばれて困っていました。ぬいぐるみ、チェーンマスコット、カンバッヂ、ハンドタオルなどグッズも多彩。

☆わらDe http://www.nhk.or.jp/sendai/top/warade/top/
NHK仙台のキャラクター。変化が得意なざしきワラシ。まるまるデザインがかわいく、周囲をとりかこむ犬・猫もかわいらしいです。グッズは今のところないようです。

☆すずのすけ http://www.aoba-matsuri.com/information/

仙台青葉祭りのすずめ踊りキャラクター。グッズは不明。着ぐるみですずめ踊りちゃんと踊ります。


2009年6月17日水曜日

新型新幹線投入!

2010年の青森-八戸間から運行開始するそうです。

それにしてもすごいデザイン!
長い鼻には何が入っているのか?と思ったらトンネル内の騒音防止対策とか。

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20090617tb03.htm?from=yolsp

安心エネルギー

先月の話ですが、仙台市で行われた「ナチュラルステップ~持続可能な未来を求めて」に参加してきました。
「六ヶ所村」「再処理工場」「プルサーマル」・・・聞いたことはあるけど詳しく知らない、知ろうとしなかったことが沢山ありました。

問題は沢山あるけれども、みんなが幸せで安心できるエネルギーであればよいなと思います。

自分はまだ詳しくしらないことなので間違いもあると思いますが、以下にプルサーマルの問題について触れてみたいと思います。

プルサーマルというのは「プルトニウム」「サーマルリアクター」の和製合成略語で、サーマルリアクターとは通常の原子炉の種類である軽水炉のことだそうです。
原子力発電はウラン燃料を使いますが、発電過程でプルトニウムが生成されます。このプルトニウムを混ぜたMOX燃料というのを軽水炉で使えるようにするのがプルサーマル計画です。

軽水炉に対して高速増殖炉というのがありますがこちらはもともとプルトニウムを使うように設計されているようですが、実用に至っていません。そのため、プルトニウム利用についてはプルサーマルで行うことが求められているようです。

世界的な核兵器廃絶の動きの中で、余剰プルトニウムを何かに使うようにと計画されてきたものです。

もともとプルトニウムは自然界にはほとんどなく、その毒性はきわめて高く、そのようなものを産出してきたものが文明・技術というのならば、より道徳的な「文化」を大事にしたいものです。冷戦までの時代、文明は毒を溜め込んで、今その吐き出し口を探しています。そのためのプルサーマル計画は、ただ単に毒を六ヶ所村
に押し付けることでしかないと思います。文化を重んじていればこのような毒はたまらなかったのではないかと考えてしまいます。

また、利権か何か知りませんが、再処理工場、原子力発電所にかかわらず、むやみに安全であることを主張してなんとか言いくるめて自分たちの計画を成就させることばかり考えている人たちがいます。

その人たちも上の人に言われてやっているだけとか、もっと上の人は責任のなすりつけをしたりとか、この国の毒を象徴しているプルサーマル計画だと思います。国策だ、地元が潤う、安全性は保障する、とか。
その一方で技術的に確立していないものを使って失敗してみたりとか。
安全であるならば国会のそばにつくればいいのに、とか思ってしまいます。

非常に難しい問題だと思います。原子力を反対するだけでなく、では、どうすればいいか。また知らなくてはいけないことが沢山あります。エネルギー問題、環境問題、自分はまったく答えが分かりません。でも、自分の子供にいい未来を残したいと思っています。

以上、思いつくまま書きました。

詳しくは⇒
http://groups.yahoo.co.jp/group/ansin-energy-mirai/

古城

先日、宮城刑務所の矯正展に行ってきました。
今回は、宮城刑務所のある、「古城」という場所について書いてみたいと思います。

まず、宮城刑務所のあらましと、「矯正展」について。
宮城刑務所は1879年に古城の地に立てられた「宮城集治監」が前身となっており、西南戦争の捕縛者を収容したものとのことです(Wikipediaより)。
また、矯正展とは、服役者の刑務作業による製品を売りに出すもので、刑務作業というものは「懲役刑の内容であるとともに,受刑者の矯正及び社会復帰を図るための重要な処遇方策の一つ」とのことです(矯正局のページより)。
矯正展では味噌などの食品から塗り物、焼き物、履物、家具、金属細工、皮細工、紙細工、そのた諸々の製品が売りにだされます。かなり質も高く、安く買うことができます。また、すずめ踊り、よさこい踊り、ジャズなど仙台名物といえる出し物も楽しいイベントになっています。

そして、古城という土地ですが、その名の通り、古く城があった場所です。その城というのが「若林城」です。
若林城は寛政4年、1627年に伊達政宗によって建てられ始めました。が、政宗が亡くなり、その後2年ばかりたって寛永15年(1638)には政宗の遺言により取り壊されてしまいます。その後も絵図などを見ると「古城」と書かれて範囲が継続しますので、他の人間が使うこともなく代々伊達家によって受け継がれた土地と思われます。
政宗の隠居の地として、また高い完成度を持つ近世城郭として評価されています。

刑務所の建て替えに伴って発掘調査が行われており、御殿や台所が見つかっています。これらの一部は、11月23日に予定されている発掘現場の見学会で見ることができるようですが、なにせ刑務所内ということで、参加は抽選になるそうです。

参考文献→仙台市の遺跡
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/iseki/00000010.html

矯正展の時意外はあまり用事はないのですが、刑務所の東側では堀のあとがみれますし、春には桜が咲き乱れ、古城というだけあって趣のある地です。

封内土産考⑤ 金山紬

封内土産考に出てくる「金山紬」についての話題です。

紬というのは絹織物より下のランクの織物として位置付けられますが、ざっくりとした風合から人気もありそれなりに高価です。綿または、絹織物に使えない太い絹糸を使います。全国に産地があり、大島紬、結城紬、琉球紬、米沢紬などが有名ですね。
とても丈夫なので、正装ではなく普段着の着物として使われます。

金山紬は宮城県の丸森で作られました。水のきれいな丸森は、今も織物の名産地です。
金山紬の名前は残っていないか、少なくなっているようで調べきれなかったのですが、その伝統は今も受け継がれているようです。

遠見塚古墳

仙台の桜の名所は西公園、榴ヶ岡公園などがあり、市外では一目千本桜の柴田
町、船岡城址公園ほかたくさんありますが、今回は遠見塚古墳の紹介をしたいと思います。

遠見塚古墳は宮城県第2位の大きさを誇る前方後円墳で、長さ110mあります。
有名な仁徳天皇陵(大山古墳)が486mですから一瞬小さく思えますが、東北地方としてはかなり大きな古墳です。

前方後円墳というのはその形の古墳をつくること=中央の権力下にあることをほぼ示しています。門外漢なので詳しくは分かりませんが、古墳の形=葬儀のスタイル、つまり「文化」を表しているものだと思います。

石名坂

仙台七崎の話がでたので、次は「仙台七坂」の話。
仙台七坂とは、→ 石名坂(いしなざか)、大坂(おおさか)、扇坂(おおぎざか)、元貞坂(げんていざか)、新坂(にいざか)、藤ヶ坂(ふじがさか)、茂市ヶ坂(もいちがさか)のことを言います。

その中で一番にあがっている石名坂。以前書いた「石橋屋」のそばにある坂で、市急患センターがあります。

なぜ石名坂かといいますと、この地で生まれ育った石名という名前の女性に由来しています。絶世の美女だったらしく江戸で遊女となり、吉原で売れっ子ナンバーワンになったそうです。

この地に円福寺という寺があります。ここに石名が亡くなった追善供養として大般若経600巻が収められているといいます。

仙台はもともと遊びの少ない土地だったらしく、劇場や遊郭ができてくるのは近代に入ってかららしいです。伊達氏の政治方針もありますが、土地柄なのでしょうか。今は国分町がありますが。

仙台城

仙台城は別名青葉城とも呼ばれます。
青葉山にあるからですが、青葉山は「仙台七崎」の一つ、青葉ヶ崎に由来します。
仙台七崎とは→

青葉ヶ崎(あおばがさき)、鴉崎(からすざき)、鹿島崎(かしまざき)、藤ヶ崎(ふじがさき)、玉田崎(たまたさき)、松ヶ崎(まつがさき)、茂ヶ崎(もがさき)を言います。

仙台城はご存じ伊達政宗が1601年に築城を開始し、大広間の完成する1610年までにほぼ全域が整備されました。仙台城に天守閣はなく、大広間という、天皇を迎え入れる「御成門」などがつく建物が本丸の心臓部といえます。天守閣は家康に遠慮してつくらなかったそうです。ちなみに仙台藩に天皇がくることはなく、御成門は260年余の間使われることはなかったそうです。

仙台城のあったところはもともとこの地を治めていた国分氏の居城があり、千体仏があったことから千体城と呼ばれ、後に千代城となりました。それを政宗が仙台と改称するわけですが、その由来となったものが漢詩、「同題仙遊観」の中の「仙台初見五城楼」といわれています。


ちなみに国道4号線バイパスの、広瀬側を渡る橋を「千代大橋」と呼んでいます。

本丸は明治時代に入り東北鎮台、後に仙台鎮台が置かれ、その後は陸軍第二師団が駐屯しました。現在は護国神社が鎮座しており、その他に青葉城資料展示館が建てられ、仙台城の復元CGや模型、武具甲冑、威信財などを見ることができます。

二の丸は二代藩主忠宗により1638年に造営されました。本丸は山の上にあるので(見晴らしは良いですが)藩政の中心として使うには不便なところであったので、その後仙台藩の中心となるところです。第二師団のとき司令部が置かれたのも二の丸です。現在は東北大学が建っています。本丸が登るのがきつかったがゆえに、政宗は隠居後は平城である若林城に移ってしまい、本丸は機能を失っていきます。

三の丸は仙台藩の米蔵があった場所で、いつ三の丸になったかよくわかっていないようです。正保2~3年(1645~1646)の絵図では「屋敷」となっており、そのころはまだ三の丸ではないようですが、寛文4年(1664)の絵図では御三之丸と書かれています。現在は仙台市博物館が建っています。

雪虫

「雪虫」。
東北以外の出身のものは聞きなれない言葉であることでしょう。私もこちらに来るまで知りませんでした。

11月から12月の雪の降る前の時期、ふわふわと綿毛をつけた小さな虫が飛び交います。これが出始めるといよいよ冬がくるな、と思い、増えてくると近々雪がふる、といわれます。

その正体は何かというと「アブラムシ」の仲間だそうです。アブラムシの中でも白線物質を分泌する器官を持つものの総称が「ゆきむし」で主に東北地方での呼び名です。他の地域ではおおわた、しろこばば、ゆきんこなどと呼ばれます。

代表的なものとしてはトドノネオオワタムシがいます。アブラムシは普通、小学校で習いましたが単体で生殖し増えていきますが、越冬するときには成虫が生まれ、交尾のため羽をもって飛び交います。綿毛をもって飛び交う姿が雪を思わせる風物詩となっています。アブラムシにも種類があったことを始めて知りました。

封内土産考④ 埋木灰

封内土産考~埋木灰(うもれぎばい)

埋木灰は地下の亜炭層の含まれていた埋木を焼いて香炉の灰に用いました。香道では最高級の灰とされています。もともと亜炭層に含まれている埋木は炭化しているので、きめ細かい灰がつくれるのでしょう。亜炭層は仙台では青葉山段丘にあり、現状では沢の絶壁に露頭しているようです。層の年代は数百万年前に相当します。

この埋木は採るのは非常に難しく危険ですが、これより古い年代の埋木が、広瀬側の大橋のところで見ることができます。こちらは凝灰岩層に入っています。凝灰岩は昔の溶岩が堆積したものなので、溶岩の熱で蒸されて炭化した木が埋木です。

江戸時代、お金のない武士はこの埋木を家財道具(お盆やたばこ盆など)に細工して小遣い稼ぎをしていました。これが埋木細工で、壊れやすく細工しにくい埋木を器用に手を入れて見事な工芸品にしています。

今に生きる名人!→

近場で一番埋木を見やすい場所といえば「地底の森ミュージアム」です。ここは2万年前の埋没林が発見され有名になったところですが、ここで発掘された樹木が埋木です。今は樹脂含浸され焼いても奇麗な灰にはなりませんが、旧石器時代の林はそれは見事なものです。

地底の森ミュージアム→

榴ヶ岡公園~仙台市歴史民俗資料館

榴ヶ岡公園は、以前書きました「西公園」に対して、「東公園」と呼ばれた公園です。どちらも桜の名所として有名で、春には花見客でにぎわいます。西公園はソメイヨシノ、榴ヶ岡公園は枝垂桜が並んでおります。

花見でにぎわうのは昔からの風景で、江戸時代の風景画にも描かれています。

近代に入り、仙台城に仙台鎮台ができ、その後陸軍第二師団が駐留するようになると、榴ヶ岡公園も歩兵第四連隊の敷地となりました。
現在仙台市歴史民俗資料館となっている建物は、歩兵第四連隊の兵舎で、戦前の陸軍施設で珍しく残っているものの一つで、県内では最古の木造洋風建築です。古民具、昭和の暮らし、第二次世界大戦の資料などが展示してあります。

封内土産考③ ホヤ

封内土産考に「海苦凡」と出てくるホヤは三陸の珍味です。
海苦凡のほか、「老海鼠」「富也」「保夜」とも呼ばれました。

なぜ「ホヤ」かというと、古い言葉で寄生することを「ほや」という、形が「火屋(ほや。ランプシェード)」に似ているなどの説があります。

宮城県では牡鹿半島で採れる三陸のホヤが有名です。
また、ちょっと前にニュースになりましたが、韓国でホヤが人気で大量に輸出しているようです。

ホヤは独特の臭みがありますが、身を取り出した後水で洗わずホヤの汁で洗うと臭みが減るようです。
また、このわたと共に塩辛にした「莫久来(ばくらい)」というものがありますが、絶品です。非常においしいので私の大好物です。

ただし、好きな人は好きですが、ダメな人はとことんダメです…

仙台箪笥

宮城県の指定伝統工芸品である仙台箪笥。
幕末から明治時代はじめのころその素地ができあがり、明治末から大正はじめのころには生産量が急増して「仙台箪笥」という呼称が使われ始めたといいます。

材料:ケヤキや栗、内側は杉や桐
大きさ:間口約4尺、高さ約3尺、奥行き1~3尺
塗り:透明、下の木目が見える(木地呂塗り)
意匠:全面に打ち出しの鉄金具が沢山付く

これが仙台箪笥の原型で、現在は生活スタイルに合わせてさまざまなデザインのものがつくられています。

仙台箪笥でごはんが食べられるところがあります。
仙台市指定文化財になっている「鐘景閣」。

もともと一本杉にあり、鐘景閣に住んでいたのは伊達伯爵家。鐘景閣は明治に入ってから家臣の佐々木氏の下屋敷を買収し、15代当主、伊達邦宗氏が建て直したものです。宮城県を代表する一級建築士の山添喜三郎の手によるもので、明治36年に起工、明治38年に棟上げされました。

その後、紆余曲折あって昭和56年の解体の際に、現在地の茂庭に移築されました。

5000円で箪笥料理が堪能できます。


仙台箪笥伝承館、門間箪笥店

茂庭荘、鐘景閣

西公園

東公園(榴ヶ岡公園)と西公園(桜ヶ岡公園)。
この2つの公園は仙台を代表する公園です。どちらも桜の名所として有名です。桜ヶ岡公園は1875年(明治8年)開園。東公園は「榴ヶ岡公園」として定着し、西公園はそのまま「西公園」として定着しました。桜ヶ岡公園という名前は桜岡大明神の社が鎮座していることに由来します。

西公園は江戸時代には武家屋敷があった場所です。様々な士族がすまわさっていましたが、江戸初期には片倉小十郎の名前も出てくる由緒ある土地です(寛文の絵図1664年に出てきます)。

片倉小十郎というのは仙台藩の家老として白石城主を務めた片倉家当主の通称です。寛文の絵図に出てくるのは三代片倉小十郎景長の時代にあたります。片倉景長は伊達騒動の際に伊達家側について藩内の混乱を収め伊達氏を改易から救ったとしてこの後家臣内外とも重んじられる家柄です。寛文の絵図の時はまだ伊達騒動の前なので原田甲斐などの反伊達藩側の人間の名前も見られます。その後の絵図では大橋を渡った二の丸近くに片倉家が移っているので身分もあがったのでしょう。

また、本来道路を挟んで南側だけだった西公園ですが、戦後北側まで拡張されました。本来北側は別の名前にするつもりで計画されたのですが、公募の結果「西公園」が得票数が多かったため西公園の一部となりました。本来の西公園(南側)は江戸時代の武家屋敷から明治時代に入って博物館、把翠館、その後、市に払い下げられ洋館が増設され公会堂として、同時期に北側には階行社(将校クラブ)がありました。

公会堂は昭和30年代に仙台市天文台に、階行社は仙台市図書館となりました。天文台は今回の地下鉄東西線の路線にあたるため移転となる予定です。仙台市図書館はメディアテークに移りました。

北側にはC60蒸気機関車が展示され、中に入れます。南側には明治時代から続く源吾茶屋があり、そば、ずんだもち他甘味などが堪能できます。地下鉄の駅ができることもあり、大町交番裏の大銀杏も移植になりますし、これから景色が変わっていくことでしょう。古きよきものには残っていて欲しいと思うのですが。

芋煮

どん兵衛の「芋煮うどん」食べました
山形風のしょうゆ味で、きのこまで入っていて大満足でした。

東北地方の芋煮会は山形県発祥の料理で、宮城県では豚肉、サトイモ、きのこなどを味噌で味付けます。
由来はさまざまな説があるようですが、稲とサトイモの収穫期が重なっており、刈り入れ時に作られた鍋料理というのは有力です。メインはサトイモ。これがないと芋煮になりません。
この時期、宮城県でもコンビニ、スーパーなどの店頭に、「芋煮セット貸します」というパネルが掲げられ、具材の販売はもとより、鍋を貸してくれたり薪まで売っています。広瀬川の河畔などでは家族、友達、会社の仲間で芋煮が行なわれ、立ち上る煙が秋の風物詩になっています。

笹かまぼこ

仙台名物の笹かまぼこ。
その由来は明治時代のはじめにひらめの大量が続いたので、保存のためにすりみにして手のひらでつぶして焼いたものだそうです。形が笹の葉に似ていることから笹かまぼこと呼ばれました。
かまぼこ自体は、平安時代末には文献に現れます。初期のかまぼこは今のちくわの形をしていて、棒にさした形状が蒲の穂ににていること、鉾の形ににていることなどから「蒲鉾」と呼ばれるようになりました。

その後板の上に練り上げたすり身を成形してつくる「板かまぼこ」が出てきて、そちらはしだいに「かまぼこ」と呼ばれ、本来の「蒲鉾」は「竹輪蒲鉾」から「ちくわ」に呼び名が変わっていったということです。本来の蒲鉾はちくわだったんですね。
仙台のかまぼこは笹かまの他に枝豆やしいたけやレンコンなどなどの具の入っている「彩ころん」とか豆腐かまぼこの「むう」(揚げかまぼこ)などがありバリエーションも豊かでおやつ、おかず、酒の肴に結構なものがたくさんあります。

仙台の駄菓子屋さん

仙台のお土産でおすすめは「仙台駄菓子」。これはけっこう喜ばれます。
駄菓子と言ってもうまい棒とかよっちゃんいかではありません。仙台藩の伝統食から生まれた、お茶うけにもぴったりなお菓子です。

『封内土産考』にもでてくる「仙台糒」。仙台糒は仙台藩独自の製法により作られた一種の携帯食として、参勤交代、戦の折などに非常食として使われました。その製法は門外不出とされていましたが、時々家臣や民間に払い下げられ、これをもとに菓子種をつくり、おこし、きなこ、くるみ、ゴマ、栗などを使った菓子が作られました。
駄菓子は雑菓子とも呼ばれます。東京より西は雑菓子、北は駄菓子と呼ぶそうです。
江戸時代は基本的に武士が貧乏であったため、町人の贅沢を禁止する触れが出されました。そのため、白砂糖が禁止され、駄菓子しか食べられない状況が生まれたようです。
駄菓子という名前が出たのは「国花万葉記」という書物に初めて認められるようです(元禄10年刊行)。

仙台の駄菓子屋として有名なのは石橋屋さんと中鉢屋さん。石橋屋さんは駄菓子資料館が併設されています(見学無料)。

仙台の有名力士

仙台の有名力士と言えば「谷風」。9年間無敗を誇った名横綱です。本名は金子与四郎。
1750年(寛延3年)に仙台市若林区霞目に生まれ、1769年(明和6年)に初土俵を踏みます。1789年(寛政元年)に小野川喜三郎とともに横綱にあがりました。勝率9割を超え、63連勝という記録を150年にわたり持ち続けた強豪です。
谷風は4代横綱ですが、横綱制度は谷風の時から定着したらしく、谷風は実質的な横綱第一号ということになります。
ちなみに初代谷風は本名鈴木善十郎、9年間無敗だったそうです。

封内土産考②斎川の孫太郎虫

封内土産考に載っている項目で、最初?な名前が載っていました。
それが斎川の孫太郎虫。
孫太郎虫というのはヘビトンボのことで、疳の虫の薬になるそうです。斎川というのは白石の斎川地区のことです。ヘビトンボというのは水の綺麗なところにしか見られず、水質の指標生物のひとつとされています。

分布は北海道から九州まで。体長3.5cm~4.5cm程度。時期は6月から9月。噛みます。
アミメカゲロウ目に属するというのでカゲロウの仲間です。幼虫は川ムカデとも言われ、肉食で周りの虫たちを食べつくしてしまうそうです。

なぜ孫太郎虫というのかまでは調べきれませんでしたが、子供の疳に効くので孫太郎と呼ばれたのでしょうか。孫のためにおじいさんが採ってきていたのでしょうか。
因みに疳というのは小児神経症の一種と考えられていて、癇癪を起こして騒いだり暴れたり泣いたりするといいます。夜鳴きもこの一種とか。原因はストレスの他、消化器不調からくる全身の失調状態などがあげられます。鼻の付け根の皮膚に静脈が透けて見え、これがはっきり見えるほど癲癇の症状が強いらしいです。
また、その他疳の虫に効くものとしては、鍼治療、宇津救命丸、虫退治のおまじないなど色々あるそうです。

封内土産考① 宮城野鈴虫

江戸時代の書物に『封内土産考(ほうないどさんこう)』というものがあります。
1798年(寛政10年)に、里見藤右衛門という人が記したもので、宮城県の特産物が紹介されています。

その中からひとつずつピックアップして紹介してみたいと思います。まず1回目は「スズムシ」です。

封内土産考には122の物品が紹介されていますが、その中に『宮城野鈴虫』というものがあります。
仙台市の「虫」は「スズムシ」です。それほどまでに仙台を代表する虫であります。
鈴虫はHomoeogryllus japonicusという学名を持っていて、japonicusとあるように純日本産だそうです。

余談ですが、佐賀県を中心にした北九州の一部に生息するカチガラスという鳥がいるのですが、(カラスといってもスズメ科の鳥だそうですが)学名がピカピカジャポニカといって、八木山動物園で見ることができます。とてもかわいくて、カチカチ鳴くから「勝つ」とかけて、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に日本に持ち込まれたらしいです。


1.スズムシは飛ぶことが出来ません。後ろ羽が退化しているためです。
2.メスは鳴きません。メスを惹くためにオスが鳴くのでしょうけれども、メスはそのオスを食べてしまうことがあるようです。子孫を残すのはいつも命がけです。
3.また、泣き声は周波数が高すぎて電話では聞こえないといいます。


平安貴族達はカゴに入れて泣き声を楽しんでいました。源氏物語にも「鈴虫」という話が出てきます。この中で源氏は捕まえた鈴虫を秋の風情に作り変えた庭に放したとありますので、そのような事も行われていたのでしょう。
江戸時代に入ってから庶民の間でも虫を飼うことが始まりました。
「虫売り」も現れて、都市ではかごに入れられた虫が売られます。鈴虫は中でも代表格だったのではないでしょうか。

宮城野鈴虫はその鳴き声の美しさで有名になったのでしょう。宮城野原では鈴虫の大合唱が聞けたことでしょう。
今は高森山、枡江の森、鶴ヶ谷中央公園でよく聞けるそうです。

仙台すずめ踊り

仙台で5月に行なわれる青葉祭り。その間に町中はすずめ踊りを舞う祭連でにぎわいます。
祭連(まづら)というのはすずめ踊りを踊るグループのことを言い、本当にたくさんの団体があります。平成16年の「夏祭り・仙台すずめ踊り」の時には47組が参加されました。
「夏祭り・仙台すずめ踊り」というのは青葉祭りとは別で、すずめ踊りだけを堪能できる祭りです。比較的新しい祭りで、平成15年から始まったようです。

1603年(慶長8年)、仙台城新築移転の儀式(移徒式)の打ち上げで、政宗公の前で堺の石工が即興で踊ったものが最初でした。
踊る姿がすずめが餌をついばむ姿に似ている。伊達の家紋が竹に雀。という由緒があって、すずめ踊りと名づけられその後も石工の子孫によって伝承されました。
戦前まで石切町の石工によって、毎年大崎八幡宮の祭りの時にはすずめ踊りが奉納されたそうです。

しかし戦後は継承者不足で途絶えかけ、ひっそりと受け継がれていく状況でした。それを復興したのが昭和60年にはじまった青葉祭り。黒田石材店の黒田虎男氏により復活をとげたのが今のすずめ踊りです。旧来のすずめ踊りに対して、「新・すずめ踊り」と最初はいわれていたのですが、しだいに市民権を得て「仙台・すずめ踊り」として認められるようになった経緯があります。

非常に軽快で力強く、見ていて楽しい踊りです。一緒に踊ったらもっと楽しいことでしょうね。

概略紹介

市の花:はぎ(萩の月で有名)
市の木:けやき(ゼルコーバツリー。ゼルコーバさんというパン屋さんが定禅寺通りにあってラスクが絶品です)
市の鳥:カッコウ
市の虫:スズムシ

市のマークは三ツ引両文をモチーフにした「仙」の字をあしらったものです。
人口102万人。

宮城県について
県花 ミヤギノハギ
県木 ケヤキ
県鳥 ガン

人口は235万人。

鯛みそ

江戸時代の仙台の物産に、鯛みそというのがあります。
仙台の味噌といえば「仙台味噌」。文禄・慶長年間の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に各藩から兵が徴兵されるわけですが、この時兵糧として味噌を持って行きました。この時、他の藩の味噌は悪くなったけれども、仙台の味噌だけは大丈夫で、仙台の味噌は上等であると評判になったそうです。その後、仙台藩の伊達家屋敷で仙台味噌がつくられるようになり、2代藩主忠宗の時には一般に売り出されるようになりました。このとき江戸っ子は仙台の味噌はうまい、と「仙台味噌」の名前をつけたそうです。仙台味噌は江戸っ子が名付け親なんですね。

さて、鯛味噌というのは鯛の身をゆでてほぐして砂糖・酒・みりんと味噌を合わせて煮たものです。鯛の取れる地方ではよく見られる料理のようです。仙台で鯛がどこから来たかというと、釣り場として有名なのは奥松島。クロダイが釣れます。宮城は陸の幸、海の幸が両方とも豊富な場所ですので鯛と味噌を合わせた旨いものがたくさんあります。

余談ですが、私の出身地の千葉では(現在は仙台に住んでおります)ピーナツハニーという、落花生とはちみつと味噌をあわせたものが給食にでました。これをご飯にかけて食べます。意外とおいしいので機会がありましたら是非。

dff.jp

クリックで救える命がある。