2011年11月12日土曜日
琉球出土陶磁社会史研究、出版のお知らせ
2011年10月27日木曜日
Google+ Androidクライアントでの、アルバム操作方法
2011年10月26日水曜日
これは便利かも・・・” Fiabee ”
2011年9月28日水曜日
グレートジャーニーを考えてみる
2011年9月27日火曜日
そろそろパケット制限がはじまりますね。
2011年9月8日木曜日
ヒトの体は60〜65%が水分
2011年8月4日木曜日
2011年7月27日水曜日
IS03ワンセグ録画
2011年7月21日木曜日
2011年7月7日木曜日
2011年7月6日水曜日
IS03速報!
2011年7月1日金曜日
夏のあしおと
仙台・広瀬川などアユ釣り解禁 河北新報 東北のニュース/太公望いざ出陣 仙台・広瀬川などアユ釣り解禁 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110701t15035.htm
今朝、通勤途中に広瀬川でアユ釣りをしている人を見かけました。津波でアユがもどってこなくなったという話も聞こえてきていたので、釣果があがるといいですね。
仙台の風物詩ですので、これを見ると夏が来たなと感じます。
”第二次世界大戦後の占領時代、川内にキャンプをおいたアメリカ軍は未処理の下水を川に流した。他にも市内の排水が流れ込むようになり、広瀬川の水質は悪化して、市街に入るあたりから川下に魚が棲まなくなった。仙台市は1974年(昭和49年)に「広瀬川の清流を守る条例」を制定して川沿いの土地建物の変更や土・木の採取、川への排水に規制を加え、あわせて下水道の整備に努めた。”(Wikipediaより)
とあるように、広瀬川は戦後しばらくとても汚れた川だったようです。それがみんなの力によって、今のきれいな、アユの戻る川になりました。
日経プレスリリース
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=285067&lindID=5
株式会社アドバンテッジリスクマネジメント(本社:東京都目黒区、代表取締役社長:鳥越慎二)は、長期化する震災問題と深刻化する状況に対応するため、本日7月1日に宮城県仙台市に直営のカウンセリングルームを開設いたします。また、それに合わせて従来からの面談・電話・メールによる心のなやみ相談・カウンセリングに加え、身体面の健康相談の対応やスカイプ(Skype)によるテレビ電話カウンセリング、携帯電話からのメール相談機能を追加し、カウンセリングサービスを強化いたします。
Catch Notes for Androidより送信 https://catch.com
2011年6月21日火曜日
ナビを使ってみた
2011年6月17日金曜日
セブイレブンのネットプリントをはじめて使ってみました
2011年6月15日水曜日
チャットワークのインターフェースがかっこよくなってました
2011年6月8日水曜日
2011年5月13日金曜日
放射性炭素について
- 考古学に限らないことですが、C14(カーボン14。放射性炭素)を使った年代測定が行われます。これは、空気中に含まれる炭素14の半減期5730年を利用して、その量を計測して年代を測定するものです。炭素14は光合成により植物に取り込まれ、食物連鎖で動物の体内にも入り込みます。生命を終えたあとは取り込まれなくなるので、その量と半減期と照らし合わせると年代がわかる、というものです。
- C14は、窒素14に壊変し、ベータ線を出しますので、当初はその線量を計測することで年代を測っていましたが、後にAMS法という、C14を直接数える方法が開発されました。
- 放射性炭素年代測定 - Wikipedia
- 以下抜粋します。
-
- "日本で最初に測定されたのは、1950年・1955年に調査された夏島貝塚の縄文時代早期の層から出土したカキ殻と木炭であった。1959年3月と6月に、ミシガン大学から杉原荘介に、炭素14年年代法による年代値は、貝殻BP9450±400と木炭BP9240±500であったことが報告された。この測定の結果、縄文時代早期に9500年前という年代がはじめて示され、縄文土器が世界最古の土器文化である可能性が指摘される一方、日本の考古学者の多くを驚愕させた。また、測定を依頼した芹沢長介らと、大陸で出土した遺物の年代から3000年前と主張する山内清男との間で論争が起きている。"
- "特に炭素年代測定でいわれているのが、古い炭素を含む化石燃料を使った自動車の排気ガスを吸収した植物が、本来あり得ない時代を示す事があることである。[要出典]状況判断は機械的に出来ず、関係者の恣意、バイアスが入る可能性を排除できない。[要出典]
一万年以上前の部分は氷河期が終わって氷が溶けだし、氷に含まれた古い炭酸ガスが放出されたり、その水が空気中の炭酸ガスを吸収したりしていた筈で、その年代が特定できる事はない。 さらに、放射性炭素年代の整合性を見極める為に年輪年代とのクロスチェックが必要であるが、年輪を見る為の木材は5000年も経つと炭化してしまうから、5000年以上前の木材による年輪年代もチェックは不可能である。したがって炭素年代法で一万年以上前、一万五千年とか一万六千年とか言っても信用する事が出来ない値と言う事になる。 歴博が国際標準校正表を使って弥生時代BC1000年開始を打ち上げた後、箸墓の年代は国際標準校正曲線で測定すると古い値が出るからこの付近の年代を出すには日本独自の校正曲線が必要と言いだした。 一般に炭素年代、特に土器に付着した煤で測定するとかなり古い値を出す事が多い。[要出典]煤だけでなく、日本の海に囲まれた地勢と言うのも放射性炭素の濃度に影響を与えていると思われる。海は炭酸ガスを吸収し、普通の炭素よりも重い放射性炭素を良く吸収するから海の近くでは放射性炭素も薄くなる。日本では炭素年代法で測定すると古い値がでやすいのである。このような事を考慮して年代を考えるべきであろう。"
江戸時代の遺跡で、丸太材などの木製遺存体を使用し、年輪年代と照らし合わせてC14を実施したことがありますが、そういう理由だったんですね。
Googleストレージを20ギガにアップグレードしました
2011年4月22日金曜日
営業と技術
2011年4月14日木曜日
デリカシーのない腹
2011年4月7日木曜日
震災後のチェーンメールについて
- 感覚的な錯誤(個人体験を過大に報告している場合)
- 総合判断の際の先入観や感情による錯誤
- 記憶を再現する際に感情的要素が働いて誇大美化(もしくは、その逆の場合)が起きるような例
- 言語表現が不適切で証言がそのまま他人に理解されない例(もしくは、同じ言葉を使っていても違う意味で使っている場合)
直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。ましてや証言者がその事件を伝聞した人である場合、誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。”
2011年3月31日木曜日
はじめよう、チャットワーク!
閖上浜
清和天皇の貞観(しょうかん)13年,この海岸に霊験あらたかななる十一面観音像が,波に"ゆり上げ"られたのを漁師がみつけた。それ以来この浜を「ゆりあげ浜」とよんだ。
現在高舘山の那智神社に安置されている那智観音像がそれであると伝えられている。
「ゆりあげ浜」の文字を「閖上」と書いたのは,いつ頃か定かではないが,次のような話が伝えられている。
昔,仙台藩主が大年寺山を参拝したおり,山門内からはるか東に波打つ浜を見て「あれはなんというところか」と家来にたずねた。
「ゆりあげ浜と申します」と答えたところ,重ねて「文字はどのように書くのか」たずねた。「文字はありません」と答えると,藩主は「門の内側から水が見えたので,これからは門の中に水をかいて『閖上』とよぶように」といわれた。
それから「閖」の文字ができたと言い伝えられている。"
2011年3月29日火曜日
津波メモ Wikipediaから引用
少なくとも、1000年に一度の大災害というより、100年に一度の大災害。めったに起こらないものと決め付けず、防災につとめよう。
津波 - Wikipedia
”
「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』[1]で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である。なお、表記は「津波(浪)」の他に「海立」、「震汐」、「海嘯」と書く場合があり、これらすべて「つなみ」と読む。
日本国内を発生源とする津波 [編集]
- 1703年 元禄大地震 - 津波の高さは8メートル以上。20 メートルの地点もあり。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[13]。
- 1707年 宝永地震 - 津波は紀伊半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。流失家屋20,000戸。
- 1741年 北海道西南沖の渡島大島近海で地震、対岸の熊石から松前にかけて大きな被害、津波高さ3メートル、佐渡島でも津波を観測[14]。
- 1771年 八重山地震 - 石垣島で死者・不明者12,000人。津波の高さは85メートルとされてきたが、琉球大学らの研究では18m。
- 1793年 2月17日宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波。
- 1854年 安政東海地震 - 12月、駿河湾から遠州灘を震源とするM8.4の地震。房総で波高3 - 4 メートル。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者 2,000 - 3,000 人。
- 1854年 安政南海地震 - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じくM8.4という地震。紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害が出た。『稲むらの火』の背景となった津波。津波高さ串本で15メートル、死者数千人。典型的な東海・南海・東南海連動型地震。
- 1896年 明治三陸地震 - 岩手県綾里で津波の高さ38.2メートル、死者不明者22,000人
- 1923年 関東地震 - 津波の最大波高は熱海で12メートル。数百人が犠牲となる。
- 1933年 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。
- 1940年 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - 天塩で死者10人。
- 1944年 東南海地震 - 津波の波高は熊野灘沿岸で8メートルに達する。
- 1946年 南海地震 - 津波は静岡県から九州まで来襲、最高6メートル。
- 1952年 十勝沖地震 - 津波により、北海道厚岸郡浜中村(現 浜中町)南部が壊滅する。津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。
- 1964年 新潟地震 - 津波規模2メートル。観測地点によっては4メートル。
- 1983年 日本海中部地震 - 津波による犠牲者104人。
- 1993年 北海道南西沖地震 - 奥尻島で津波の高さが30メートルに達する。死者・不明198人。大津波警報は地震発生後4~5分で出されるも間に合わず、奥尻町青苗地区は壊滅。
- 2011年 東北地方太平洋沖地震 - 10メートル以上。死者多数。青森県・岩手県・宮城県・福島県といった東北地方を中心に壊滅した自治体が出るなど、太平洋岸ほぼ全域で大被害が発生。三陸沖・福島県沖・茨城県沖の3つの断層が一斉に動いたもので、地震の規模を示すマグニチュードは、20世紀以降に日本で発生した地震としては観測史上最大の9.0になった。さらにこの地震の規模が大ききかったため、これらの沖で発生した津波は世界各地の太平洋沿岸を襲う遠隔地津波になった。
日本国外を発生源とする津波 [編集]
- 1755年 リスボン地震 - 津波によりおよそ10,000人が死亡。
- 1946年 アリューシャン地震 - 波高30メートル(推定)- 死者行方不明者165人。
- 1960年 チリ地震 - 日本では死者不明者142名。地震発生の22時間30分後に18,000キロメートル離れた太平洋沿岸に津波が襲来した。遠隔地津波として日本では有名。
- 2004年 スマトラ島沖地震 - 波高34 メートル - スマトラ島アチェやスリランカ、タイ・プーケット島周辺を中心にアフリカ東岸にかけて、インド洋沿岸各国で 25 万人の犠牲者。遠隔地津波発生で史上最大の被害。
- 2010年 チリ地震 - 地震発生から21時間後にフランス領ポリネシアで4メートル、ハワイのマウイ島で1.8メートル。ファン・フェルナンデス諸島のロビンソン・クルーソー島で3人が死亡・複数人が行方不明。