少なくとも、1000年に一度の大災害というより、100年に一度の大災害。めったに起こらないものと決め付けず、防災につとめよう。
津波 - Wikipedia
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「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』[1]で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である。なお、表記は「津波(浪)」の他に「海立」、「震汐」、「海嘯」と書く場合があり、これらすべて「つなみ」と読む。
日本国内を発生源とする津波 [編集]
- 1703年 元禄大地震 - 津波の高さは8メートル以上。20 メートルの地点もあり。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[13]。
- 1707年 宝永地震 - 津波は紀伊半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。流失家屋20,000戸。
- 1741年 北海道西南沖の渡島大島近海で地震、対岸の熊石から松前にかけて大きな被害、津波高さ3メートル、佐渡島でも津波を観測[14]。
- 1771年 八重山地震 - 石垣島で死者・不明者12,000人。津波の高さは85メートルとされてきたが、琉球大学らの研究では18m。
- 1793年 2月17日宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波。
- 1854年 安政東海地震 - 12月、駿河湾から遠州灘を震源とするM8.4の地震。房総で波高3 - 4 メートル。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者 2,000 - 3,000 人。
- 1854年 安政南海地震 - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じくM8.4という地震。紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害が出た。『稲むらの火』の背景となった津波。津波高さ串本で15メートル、死者数千人。典型的な東海・南海・東南海連動型地震。
- 1896年 明治三陸地震 - 岩手県綾里で津波の高さ38.2メートル、死者不明者22,000人
- 1923年 関東地震 - 津波の最大波高は熱海で12メートル。数百人が犠牲となる。
- 1933年 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。
- 1940年 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - 天塩で死者10人。
- 1944年 東南海地震 - 津波の波高は熊野灘沿岸で8メートルに達する。
- 1946年 南海地震 - 津波は静岡県から九州まで来襲、最高6メートル。
- 1952年 十勝沖地震 - 津波により、北海道厚岸郡浜中村(現 浜中町)南部が壊滅する。津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。
- 1964年 新潟地震 - 津波規模2メートル。観測地点によっては4メートル。
- 1983年 日本海中部地震 - 津波による犠牲者104人。
- 1993年 北海道南西沖地震 - 奥尻島で津波の高さが30メートルに達する。死者・不明198人。大津波警報は地震発生後4~5分で出されるも間に合わず、奥尻町青苗地区は壊滅。
- 2011年 東北地方太平洋沖地震 - 10メートル以上。死者多数。青森県・岩手県・宮城県・福島県といった東北地方を中心に壊滅した自治体が出るなど、太平洋岸ほぼ全域で大被害が発生。三陸沖・福島県沖・茨城県沖の3つの断層が一斉に動いたもので、地震の規模を示すマグニチュードは、20世紀以降に日本で発生した地震としては観測史上最大の9.0になった。さらにこの地震の規模が大ききかったため、これらの沖で発生した津波は世界各地の太平洋沿岸を襲う遠隔地津波になった。
日本国外を発生源とする津波 [編集]
- 1755年 リスボン地震 - 津波によりおよそ10,000人が死亡。
- 1946年 アリューシャン地震 - 波高30メートル(推定)- 死者行方不明者165人。
- 1960年 チリ地震 - 日本では死者不明者142名。地震発生の22時間30分後に18,000キロメートル離れた太平洋沿岸に津波が襲来した。遠隔地津波として日本では有名。
- 2004年 スマトラ島沖地震 - 波高34 メートル - スマトラ島アチェやスリランカ、タイ・プーケット島周辺を中心にアフリカ東岸にかけて、インド洋沿岸各国で 25 万人の犠牲者。遠隔地津波発生で史上最大の被害。
- 2010年 チリ地震 - 地震発生から21時間後にフランス領ポリネシアで4メートル、ハワイのマウイ島で1.8メートル。ファン・フェルナンデス諸島のロビンソン・クルーソー島で3人が死亡・複数人が行方不明。
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