2013年12月15日日曜日

間違ってこそ人間

ガラケーからスマホに移行して、なんだか分からない症状に悩まされている事例をよく聞く。

多機能、高性能化して、それだけ複雑な処理を行うわけで、エラーも増える。自分のiPhoneも時々突然再起動したりする。

で、人間の脳みそは、それよりももっと複雑な処理をしているわけで、より多くのエラーを多発しているのではないかと考えてしまう。

感情とか、心とかは、人間の合理的・本能的な生存のための処理から出て来たエラーに過ぎないのではないか、とか。

でもそのようなエラーの言葉こそが人に届いたりする。

感情に訴えたものは、同じエラーを起こしている人にとって、同じくエラーを呼び起こされ、最も心に届くわけだ。

怒り悲しみ妬み喜び、そのような感情は他人に伝染して、その伝播が人が人間にたりえるコミュニティの原点になるのではないか。つまるところ、生存に関する合理性から離れたエラーによって、余計な部分によって、人が人間たりえるのでは、と考えてしまう。

人間はことごとく狂っているのであって、正義も悪も、性善説も性悪説もあったもんじゃない。

多分、そんなものなのだろう。



0 件のコメント:

dff.jp

クリックで救える命がある。