2011年3月31日木曜日

はじめよう、チャットワーク!

メールの時代は終わりました!
とあるように、社内コミュニケーションツールとしてかなり有望なものが出てきました。


チャットワークでは、ブラウザベースのコミュニケーションが可能となり、プロジェクト単位のタスク管理、責任者管理、ファイル添付なども可能です。Skype通話へのリンクもあり、必要に応じて会話もできるようになっています。

使い始めるのもメールアドレスとパスワードを登録するだけです。

メールと違い、特定のメンバー宛のメッセージを送るため、スパムがないことも魅力です。
iPhone、Androidアプリも開発中とのことで、あつく期待をこめて待ってみます。
個人的なメモ、タスク管理にも使えます。GoogleWaveが開発中止になり、今後どういう方向で仕事の内容をまとめていこうかと考えていた時だけに、素晴らしいものが出てきたと思いました。

レビューは以下の記事を参照してください。

中の人に聞く、新しいコミニュケーションツール「チャットワーク」の ...

閖上浜

名取川河口にある浜の名前です。河をはさんで北側は仙台市になります。

宮城県の地名でも難読
とされる閖上(ゆりあげ)ですが、今回の震災で甚大な被害を受けました。
名物朝市の場所も流されました。朝市は日曜日・祝日に開催され、なんども足を運んだ場所です。秋には秋刀魚祭りがあって、気仙沼で水揚げされた秋刀魚の振る舞いがあり、その場で焼いて食べることができました。

朝市は名取市内で再開されています。いつの日か閖上で朝市を開きたいとの願いのもと、月1回程度開かれるようです。


閖上の地名の由来については、以下のとおりとなっています。


"名取川河口にある閖上浜は,昔「名取の浦」と呼ばれていた。
清和天皇の貞観(しょうかん)13年,この海岸に霊験あらたかななる十一面観音像が,波に"ゆり上げ"られたのを漁師がみつけた。それ以来この浜を「ゆりあげ浜」とよんだ。
現在高舘山の那智神社に安置されている那智観音像がそれであると伝えられている。
「ゆりあげ浜」の文字を「閖上」と書いたのは,いつ頃か定かではないが,次のような話が伝えられている。
昔,仙台藩主が大年寺山を参拝したおり,山門内からはるか東に波打つ浜を見て「あれはなんというところか」と家来にたずねた。
「ゆりあげ浜と申します」と答えたところ,重ねて「文字はどのように書くのか」たずねた。「文字はありません」と答えると,藩主は「門の内側から水が見えたので,これからは門の中に水をかいて『閖上』とよぶように」といわれた。
それから「閖」の文字ができたと言い伝えられている。"


"昔、何代目かの殿様が大年寺の参拝を終わって、石段を降りかけると、惣門内から遥かに名取川が生みにそそぐ河口付近の水が光って見えたので、近侍の者に「あれは何処か」と訊ねた。近侍の者が「ゆり上げで浜でございます」と答えると、殿様は即座に「門の中に水が見えたのであるから、これからは門の中に水を書いて『閖上』とするように」と命ぜられたことに始まったといわれている。また、地元では承応年中(一六五二〜一六五五)に火災が頻発したので、この地の水門神社(湊明神)の神託を乞うたところ、神名を地名にすれば永く火災を除くといわれ、神名{水門」を一字に合成し「閖」と作字して地名にあてたという。"

最初は、「水が光って見えた」というところから、門構えに「光」をいれて書き、後に「水」に変わったという話をどこかで聞いた気がしているのですが、勘違いかもしれません。

2011年3月29日火曜日

津波メモ Wikipediaから引用

少なくとも、1000年に一度の大災害というより、100年に一度の大災害。めったに起こらないものと決め付けず、防災につとめよう。


津波 - Wikipedia

”

「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』[1]で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である。なお、表記は「津波(浪)」の他に「海立」、「震汐」、「海嘯」と書く場合があり、これらすべて「つなみ」と読む。

日本国内を発生源とする津波 [編集]

八重山地震の津波(明和の大津波)で陸に打ち上げられたとされる下地島の帯岩

日本国外を発生源とする津波 [編集]

スマトラ沖地震での津波(タイ)
スマトラ沖地震での津波(モルディブ)

”

2011年3月24日木曜日

被災状況の航空写真が掲載されていました

たくさん、流されてしまいました。
命も、思いも。
昨日行った、一高グラウンドのところで、海の水が渦を巻いている夢を見ました。
寝ている部屋の風景はそのままに、潮の渦の幻影がオーバーラップしており、起きているのか夢なのかはっきりしないものでした。


2011年3月23日水曜日

震災の跡

3月11日から12日が経ちました。
津波は家の2km手前まで来ており、その痕跡を今朝見てきました。
何も、語ることができません。
ただ、家族も自分も生きているので、生かされたこの命で、なすべきことをしていくだけだ、という思いです。

dff.jp

クリックで救える命がある。